おかえり。

帰ってきました!!

我が家の長男・S一。大学が夏休みになったということで熊本に帰郷したのです。

なーんかね、まだ4ヶ月しか出てないんですけどね~

・・・なんであんた標準語なの???

もともとマコトラ家は大阪に住んでたんですが大阪から熊本に来たときも真っ先に

熊本弁に染まったのも彼です

まあ適応しやすいんでしょうね。いいことです。(テキトー)

ところでマコトラ今日も病気がぶり返してこれで今月欠勤4日目です。

さすがに凹むし自分の身体が自分で憎くてしょうがないです。

この病気とは一生付き合わなきゃいけないし、食べられないものとかがあって

それが結構マコトラの好物とかだったりしてたまーにそうゆうのも嫌になったりします。

マコトラは看護師ですがこの職業は自分がきついときには患者さんのことが

不思議と見えてこないんです。。だから休まないと患者さんにも迷惑なんですけどね。

でもその支えになっているのは彼氏であり家族であり友達であり亡き父の存在です。

看護師になろうとおもったきっかけをくれた父には本当に感謝していますし、今どんな状況

で父が私を見たとしても恥にならないように父の分まで生きなければいけないです。

マコトラは今でもあのときの事を後悔してます。

マコトラはその当時18歳。はっきりいって反抗期真っ最中。

でも本当に父のことも母のことも私は尊敬していましたがその当時は顔を合わせれば

父とはケンカばかりしていました。

・・あの日私は次の日友達とベースを買いに行く約束をしていてそれを食事中に家族に

話したところ父に猛反対され私も切れやすいお年頃だったのでソッコー反抗。

その夜中父が謝ってきたのですが『うるさい』とまたもや反抗

その日寝る前に父が母に『最近全身の調子が悪い。』といっているのを聞き

父の身体がなんとなく薄く見えて『明日もしかして父がいなくなるんじゃないか。』

そんな不安に駆られて、でもケンカ中だから声もかけずにそのまま自分の部屋に戻り

次の日朝から友達と約束もあったので早く寝なきゃいけないのに・・・眠れない。

どうしても父が心配でいなくなるような気がして・・・。今思えば第6感というやつなんですか

ね。でも寝なきゃいけなかったから『もし倒れたらすぐに脈みたりして落ち着いて救急車を

呼ぼう。』と自分に言い聞かせて寝付いたのが確か4時。

その4時間後母が私の部屋に来て父の様子がおかしいといいました。

私はすぐに脈をみて救急車を呼び救急車を家まで誘導したり不思議とそのとき落ち着い

ていました。

父は懸命に生きようとしましたが45歳という早さで他界しました。

昨日までケンカしていた父がいなくなりもう謝ることもできなくなりました。本当に今でも

後悔しているしその罪滅ぼしに私は看護師になろうときめたのでした。

父が亡くなり父の携帯を見たときに1通の未送信メールがありました。

それは私が父の日にプレゼントをした時のお礼のメールでした。

父はEメールの仕方が解らなかったので未送信になってたみたい。

もうそれ見たときは泣いて泣いて。。。

ほんとに素直に生きようと思いましたね。今日は何でこんな記事なのかというと

父が亡くなった夏が来たから。思い出さずにはいられないし、自分が今病気で

ダメになりそうだったので父にもう一度誓いの意味を込めて書きました。

お父さんずっと私たち家族を見守っていてくださいね。

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